Linux への移行

2000年になると、ITバブルは下火になって、私も日本に帰国して仕事の内容も変わりました。

通信機器やインフラが必要とするだけ行きわたり、一般的にはADSLなどが使われたり、FTTHも使われ始め、費用対効果で消費者が十分と思われるようになったのでしょう。 作れば売れるという事ではなくなりました。 ニーズが多様化してきて、それに合った設計を学ばねばならないので、携帯電話やカーナビといった製品むけASICの開発に携わりました。

この頃、Linux が流行り、ブレードサーバーを設置するようになっていました。 机の上にあったEWSは姿を消し、代わりにパソコンが支給されました。分散型コンピューティングから再びクライアントサーバー型にもどるようになって、メインフレームを使っていた頃のように少し不便に感じる事もありました。

blade_server

SUN の EWS は1990年頃から2000年頃まで活躍して、Java を作って最後は Oracle に吸収されました。しかし、SPARCアーキテクチャは今でも受け継がれて、スーパーコンピューターの京ではSPARCが使われています。

ブレードサーバーを始めたころは、事務所内にサーバールームを作り、空調管理してやるものでした。事務所には100BaseTのLANが引かれてパソコンをつないでいました。やがてWiFiを使うようになってパソコンはデスクトップではなく、ノートパソコンを使うようになりました。携行に便利なノートパソコンなので、事務所の外にも持ち出すようになると、盗まれたり、置き忘れたりして、顧客情報がもれてしまう事故が発生、情報セキュリティについてうるさく言われるようになりました。

ブレードサーバーは、今では事務所ごとにあったサーバーを統合して各国に1箇所ずつサーバーセンターをおいてネットワークでつないで運用しています。いずれは、クラウド・コンピューティングに代わって、ネットにつながればどこでも仕事をする環境になるのでしょう。

ところで、自社でブレードサーバーを組むとき、ファイルサーバー、コンピューティングサーバー、ルーター、L2スイッチ、NFSサーバー、NISサーバー、ログインサーバー、LSFサーバー、ライセンスサーバー などなど、大変ですよね。日々起こる障害に対応しつつ、将来に向けてのバージョンアップを計画しなければなりませんし。

私はファイルサーバーでかなり悩まされました。組み方が悪いと性能が引き出せないだけでなく、大事なデータを失ってしまったりします。最後にであったファイルサーバーでこれは良いなと思ったのは GPFS でした。

GPFS (General Parallel File System) というのは、IBM がやっている ファイルサーバー で数台(基本的には偶数台)のファイルサーバー要素となる Linuxマシン を Cluster 接続されていて 1台で NTFS を稼働させているのと違い、ファイルアクセスが増大してもパフォーマンスが落ちることがない。もちろん、1台で障害が起こっても停止することなく、補修することができます。ただし、障害時の補修にはメーカーのサポートが必要になるのは、最近の他のファイルサーバーと同じでした。



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自己紹介

50才になる半導体エンジニアです。
大学で電子電気工学を学び、1990年にその分野のまま就職。ASICやマイコンの設計を長く続けてきましたが20年も同じ分野にいると業態も衰退したり変化するもので退職し、今は外資のIT系会社に再就職して設計請負業をやっております。
お問い合わせは
nakata.xianzhi@outlook.com







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