半導体エンジニアとしてUnixについてアメリカで学んだこと

私は1995年から2000年までの5年間、アメリカ・テキサス州・ダラス近郊のリチャードソン市に駐在しました。

当時、アメリカでは通信事業が急速に発展していて、富士通は通信機を生産してアメリカの通信事業者に販売しているのですが、現地調達、現地生産が良いということで、設計部門も現地に置くことにしました。

私はASICの設計者として、現地で採用されたエンジニアと共に設計部門の立ち上げに協力するために赴任しました。

Dallas

worldtenki.net

現地採用のエンジニアといっても、もともとの国籍は多様で、さすがアメリカ。一緒に仕事したエンジニアは、インド人、ベトナム人、中国人、韓国人、シンガポール人、カナダ人、ポーランド人、アイルランド人などなど。

そもそも異文化が交じり合ってできたアメリカでは、生活システムや法律は、誰にでも受け入れられるよう、シンプルで矛盾の無いように作られています。

そして、職場でも異文化のエンジニアたちを上手くまとめ上げるのは、アメリカのエンジニアでした。

私が感じているアメリカ人の特徴として、複雑なものはサッサと解決して物事をシンプルにしたい。というところです。 仕事でも面倒な作業は自動化させてしまって、もっと大きななことをやり遂げたいと考えるようです。

その当時のアメリカも1人1台ずつ SUN Microsystens の EWS があって、 Ultra シリーズが使われていました。 ただし、パソコン(当時Windows95)は支給されていなかったです。

SunUltra5

www.datalive.co.jp

SunUltra10

www.unixcw.com

そんな環境で、面倒くさい、複雑な作業を出来るだけ自動化させたいアメリカ人エンジニアたちは、 verilog-HDL をコーディングするときに使うエディタは vi ではなく emacs で、 perl を使って作業の自動化と効率化をしていました。

perl で作られた傑作なスクリプトは、verilog のインスタンス文を展開してくれるものでした。後に verilog-2001 で組み込まれた generate文 を perl を使って展開するようにしたのです。当時は verilog-93 でしたので、複数のインスタンス文をコーディングする作業は退屈で面倒くさく、ミスしやすい作業でした。

この彼らの作った perl スクリプトの傑作なのは、コメント文で書かれた for文 や if文 を理解して展開してくれるところでした。

私は、そんな perl の可能性に感動して perl を勉強し、自分でもメンバーで使える perl スクリプトを作りました。 作ったのは、リグレッション(シミュレーションのやり直し)を自動化するものでした。 当時の ASIC設計では、シミュレーションの件数が200くらいあり、 RTL や Testbench に修正がある度に全てのシミュレーションをやり直さねばなりませんが、手作業では大変だったので、ファイルのタイムスタンプを見て過去のシミュレーション実行日時が RTL や Testbench より古いものは 再シミュレーションを実行させるものでした。

ASIC の開発において、設計が終わると ES (Engineering Sample) を先ず作って、設計が正しかったか、評価せねばなりません。 機能がたくさんつめ込まれた ASIC は評価するのも大変で、私たちは、Lab に何台ものネットワーク装置でアメリカ全土を想定した接続をして実験をしていたので、それに ES を搭載した基盤を差し込み評価していました。

ネットワーク装置を設定するには、専用のソフトウェアを開発してお客様に納めるのですが、実験ではそのソフトウェアがありません。 そこでアメリカ人エンジニアたちが使っていたのは、Sun EWS をネットワーク装置につなぎ、ターミナルからコマンドを送って設定するものです。 当然、コマンド数は膨大で毎回同じコマンドを手で入力していると大変です。 そんなときに使われたのが expect という Tcl ベースのスクリプト言語でした。 これにも私は感動し、勉強をして、難しい ASIC の評価を何とかやり通すことが出来ました。

そして、この頃 Linux が始まり、雑誌や本に Red Hat Linux の CD がついて売られるようになっていました。 パソコンで Linux が動くということで、私も早速 インストール してみました。 Lilo で Windows と Red Hat のいずれかが起動するように設定も出来たので、簡単に インストール 出来たものの、Solaris のほうがアプリケーションが充実しており、安定していたので、残念ながら Red Hat にはすぐに飽きてしまっていました。

とにかく、アメリカ人たちはパソコン、コンピューター好きなので、自宅にサーバーを設置するほどです。郊外のジャンクショップに訪れると面白いものがたくさん売られていました。それらの店は大きな店舗で見せ方も派手。あれこれ見ているだけで楽しめました。私は秋葉原も好きですけどね。



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自己紹介

50才になる半導体エンジニアです。
大学で電子電気工学を学び、1990年にその分野のまま就職。ASICやマイコンの設計を長く続けてきましたが20年も同じ分野にいると業態も衰退したり変化するもので退職し、今は外資のIT系会社に再就職して設計請負業をやっております。
お問い合わせは
nakata.xianzhi@outlook.com







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