Unixとの出会い

私が Unix と出会ったのは、就職した翌年 1991年です。 当時、私が就職したのは富士通の関係会社で通信向けASICの設計をしている会社でした。 そのころ、光ファイバーや半導体レーザーが開発され、ISDNだ光通信だと騒がれた時代で、デジタル回路と光通信(デジタル通信)は切り離すことの出来ない技術で、私のようなASIC設計者が一気に増えた時代でした。

入社1年目は、パソコンですら貴重で、各課に数台あるだけ、幹部社員にだけ1人1台でした。とはいえ当時のパソコンは32bitで文書を書くだけにしか使えませんでした。

FMV

www.fujitsu.com

それでASIC設計そのものはというと、
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方眼紙に製図定規で回路図を下書き、タイムチャートも方眼紙に下書きして、動作することを自分の頭で確認した後、
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メインフレームと呼ばれる FACOM M780 に回路図を入力してシミュレーション、
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シミュレーション結果は巨大なレーザープリンタでジャバラ折の用紙(1枚がA3サイズ)に印刷して確認。もし間違いを見つけたらやり直して、正解の結果をまた印刷します。
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結果が揃ったら、先輩社員や課長とレビューして、 Go-To-Make つまりシリコンに焼き付ける工程への承認をもらいます。

以上が一般的な1990年ごろのASIC設計の作業でした。

大変なのはメインフレームの扱いです。4台くらいが稼働しているのですが、設置されているのは本社工場です。電話回線でつないで回路図入力したり、シミュレーションのコマンドを送るのですが、回線がとにかく遅い。

そんな状況が翌年には一気に改善されます。

Sun Microsystems の EWS (Engineering Work Station) が導入されたのです。

sun4

openmedia.jp

最初は10人に1台くらいの導入でしたが、私は運良く最初から使うことができ、黒銀のコマンドリファレンスブックを買って勉強しました。

SUN Microsystems の EWS はかなりの人気でしたので、UNIX magazine という雑誌も刊行され、その雑誌からもたくさんのことを勉強させて頂きました。これが私の UNIX との出会いです。

その後も SUN の人気は上がり続け、1人に1台ずつ EWS が導入されるようになると、 Unix を覚えることが仕事(ASIC設計)の効率化につながるようになり、私も vi, edコマンド, sed, awk を覚えていきます。

やがて、C言語を使ってデジタル回路をモデリングして難しい設計もこなすようになると、デジタル回路設計の世界に verilog-HDL や VHDL が登場して、上手にコーディング出来るように Tcl/Tk や emacs を覚えて、それをカスタマイズして VHDL エディタに仕立てたりもしました。 そうこうしていると、やがて時代は IT バブルへと動き、私は 1995年から アメリカに赴任することになりました。



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自己紹介

50才になる半導体エンジニアです。
大学で電子電気工学を学び、1990年にその分野のまま就職。ASICやマイコンの設計を長く続けてきましたが20年も同じ分野にいると業態も衰退したり変化するもので退職し、今は外資のIT系会社に再就職して設計請負業をやっております。
お問い合わせは
nakata.xianzhi@outlook.com







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